ストレングスファインダー/自己理解

自己紹介(2018/07/23現在)

はじめまして。

むーちゃんと申します。
(こうやって自己紹介するとむーちゃんさんって呼んでくださる方が多いので、普通にむーちゃん、もしくはむーさん呼びをおすすめします!)

元スタバのお姉さん。
現在はこちらの記事でも紹介したようにスターバックスを退職し、転職活動中です。

u29-muchan.hatenablog.com

ちょっとエモいですかね。
でもなんだかんだ10年近く働いてきた会社を辞めたんで、どうしてもその時に素直に思ったことを書き留めておきたかったんですよ。

現在転職活動を行いながらストレングスファインダーの勉強をしています。
このブログでは、スタバのことと私自身が勉強したストレングスファインダーの内容が主となりますので、今「ストレングスファインダーってなんだ?」となってる人もこのブログを読み進めていけばわかるようにしていきます。
そして、できれば「これって面白い!私も受けてみたい!」となってくれたらとても嬉しいです。

そして、今回はこのブログを運営している私自身について、とても長い記事を書きたいと思います。
リアルで私を知っている人が読んだら多分すぐ私ってわかるんじゃないかなぐらいの勢いで書きます。

ですので、興味あるところだけ読んでくだされば本当に満足です。

  • 小学〜中学校、高校時代

    とにかく「人と違うこと」に意義を感じていました。そして両親共教員という将来の方向性がガチガチに固められる場所で「違うこと」「人より目立つこと」にフォーカスした人生を歩むとすると、どうなるか。「人よりよりいい成績を残すこと」に快感を覚えます。

    いわゆる「いい成績」は学問だけではありません。部活動や委員会活動、とにかく「親に褒められる=いい子」でした。そして、親の言う通りにしていれば怒られません。

    でも「目立ちたい」という本能を持った私はレールから外れようとしてよく両親に叱られました。

    30を目の前にしてようやくあの時の両親と同世代になってからわかることですが、完璧主義➕地元の教員たちでは有名だった教員一家の一番最初の子供なので「私」という「見本」で「失敗だ」と思われたくなかったのでしょう。とにかく両親が引いたレールから1ミリもずれることは許されないのです。この時で1番印象深いエピソードは今思えば異常なのですが、お正月の親戚周りでした。

    皆さんもお正月には親戚の家を訪れると思うのですが、その時は普通「あけましておめでとうございます」→「〇〇ちゃん大きくなったねー!今どれくらいになったの?」→「今年高校生になりましたー」がごく一般的な流れだと思うのですがむー家では最後の部分で必ず「どこどこ高の何年生です」というのを強要されていました。これを自ら言わないと両親から強制的に言わされます。ある程度の進学校に通っていたのでそれをアピールさせたかったのでしょう。このように両親からいわゆる「見世物」(本当に見世物でした。だってどこの学校に行っても私の両親を知ってる。これはある意味恐怖です。)で育った私は「仮面」をつけて生活するようになりました。

    また、小学校時代から目立っていた私はいじめを受け続けていました。無視や仲間はずれは当たり前。バイキン扱いされたこともしばしばです。

    みんなからいじめられないように「仮面」を付けることで明るく、誰にでも優しい子を演じなければ自分は受け入れてもらえないんだと思い込んでしまいました。

  • 大学時代

    両親からの強い要望により私は地元国立大学の教育学部に1浪して入学しました。

    なぜ浪人したかと言うと両親が幼少の頃より「国立大学意外大学ではない。現役でいけないなら浪人してでも国立へいけ」と言われていたので、素直に国立を受験し、素直に浪人したのです。

    教育学部も本当になんとなくで選びました。強いて言えば「両親に認めてもらいたかった」からでしょうか。とにかく国立に行ければ学部はなんでもいいというのが当時の私でした。

  • スターバックスと私の出会い

    話はガラッと変わりますが、私は小さい頃からディズニーが大好きで、現在も関東に住んでいるのですが住む場所は「舞浜に通えるところ」で選ぶくらい(もちろん年パスも持ってます!)ディズニーが大好きでした。

    ディズニーを好きになるきっかけは幼稚園の頃から通っていたピアノ教室の先生がディズニーが大好きで練習曲もディズニーの名曲から選んでいたので、自然とディズニーが好きになりました。

    両親もそこはわかってくれ、年に1回は必ずディズニーランドに連れて行ってくれました。

    小さい頃からの夢は「ディズニーキャストになること」だった私は、地元静岡の大学を選んでしまったがゆえにディズニーで働くことはできません。

    では将来キャストになるために今のうちから勉強できることは?と考えた結果サービスに行き着きました。

    そんな時大学の近くにスターバックスがあり「そういえばスタバってディズニーくらいサービスが有名って聞いたことあるな」と思い、ちょうど店頭でアルバイト募集のPOPを見たのでなんとなく応募してみたら受かってしまったというのが正直なところです。

    もし、このブログでスタバで働きたい!と思ってる方がいたら安心してください。この時ブラックコーヒーも飲めなければフラペチーノも知らない私でも、面接に受かることができました。この辺りはまたきちんと記事にしますね。

    受かってからするするとスターバックスのキャリアを登ることができたかと言うと・・正直劣等生でした。以前その頃一緒に働いていた先輩からすると「絶対真っ先に辞めるだろうなって思ってた」と言うくらいダメダメな子でした。

    私自身も向いてないと思ったし、辞めようとしたかわかりません。そんな私でも続けることができたのは、間違いなく同期に恵まれたことと、評価基準がしっかりしていたことに尽きると思います。

    特に評価基準のところは、初めこそ嫌でしたが、仕事に慣れていくうちに上がっていくし、同期たちと競って早く上に上がりたいと、その一心だったと思います。

    SSV(時間帯責任者)に上がる時も自分の努力が報われる→みんなから褒められるのループにうまくはまったような気がします。

  • 就活からフリーター時代

    教育学部になりゆきで入った私だったので、特に教員を目指すこともなく、就職活動をすることにしました。ここでも「人と違ったことがしたい」という本能は変わらず、「周りが教員試験やるなら私は就活」という今考えると無謀な考えのもと就職活動をスタートさせました。

    ただ教育学部という性質上周りはほとんど就活をしている友達がおらず、情報が圧倒的に少ない+東京に就職したかったので、就職活動はかなり難航しました。

    SSVの資格を生かして、サービス業に絞ったのは良かったのですが、どこも1次選考でお見送り。そこに東日本大震災で世の中が自粛ムードになり、1番影響を受けたサービス業界だったので、私の就活は、内定が1個もないまま4年生を迎えてしまいました。

    当然スタバで働いている仲間も心配してくれます。特に今でも交流のあるその時に働いていた社員さんと店長が親身になって話を聞いてくれ、「私もこんな風に人に寄り添える人になりたい」と思うようになりました。

    この頃はSSVとしてスターバックスの考え方を盲目的に信じていたので、フリーターとしてスターバックスに残り、内部登用でスターバックスの社員を目指すことにしました。ただ、この時私は学生で、親の援助を受けて一人暮らしをしていたので、さすがに援助なしで一人暮らしは厳しく、実家に戻ることにして、実家近くのスターバックスに異動しました。

  • 私のキャリアハイ〜どん底

    私の人生のキャリアハイはどこですか、と聞かれたら間違いなくこの時期でしょう。初めこそ異動したての店舗は持ち前の人見知りを発揮して、慣れずにいましたが、慣れてしまえば第2の実家と言っても過言ではないくらいみんなと仲良くなったところで、新店舗のオープニングメンバーに抜擢。

    新店舗でも育成を中心に活躍し、社員を目指せる段階までくることができました。

    しかし、ちょうどこの頃スターバックスの人事制度が大きく変わりつつある時期で、当時付き合っていた彼(現旦那)と東京で結婚するつもりだった私は、全国転勤ができないため、東京で社員登用を受けてくださいと当時の上長の判断だったため私はアルバイトの立場のまま、結婚のため上京しました。

    上京した私を待ち受けていたのは、ビジネス街のサラリーマン。今まで出会ったことない人種と求めるスピード、そして冷たさに私がこれまで抱いていたスターバックス像が破壊され、周りからも浮いていた私は、毎日泣いていて、帰りの電車で「ここで飛び込めば楽になるのかなぁ」と危険な想像をすることになったしまった私は見事にうつ病を患い、東京にきてわずか半年で大学時代から働いていたスターバックスを退職しました。

  • うつ病期〜現在

    正直言うとこの辺はあまり覚えてません。まだ新入社員だった旦那も、仕事をしてない私を養うだけの給料はまだもらっておらず、私自身も寝てばかりの自分が許せず、SNS起業にハマってみたり、復職してみたりしましたが結局せっかくよくなってきたうつ状態をぶり返すだけでよくなることはありませんでした。

    そんな状態を見かねた旦那が、私の治療のため私の地元に帰ろうと提案してくれました。

    それを聞いた両親は大喜び。なんと、一戸建てをあれよあれよという間に買うことになってしまったのです。

    当時は地元に永住するつもりだったのでよかったし、実際私も一度地元に帰ったことで病状はかなりよくなり、服薬しながらではありますが、以前のバリバリ働ける状態まで回復することができました。

    しかし、人生は本当にうまくいかないものです。今度は旦那が静岡での生活に不満を持つようになりました。もともとは東京でバリバリ働いていた彼。そんな中で静岡の仕事は刺激がなく、つまらないものだったと思います。

    私自身、自分の体調もよくなってきたこともあり、今度は彼に合わせようと二人で話し合った結果、もう一度東京に戻ることにしました。

    旦那は現職が一番肌に合っているようで、楽しいと言っています。私も頑張ろうと思ったのですが、やはり過去のトラウマがどうしても抜け出せず、周りを信用できなくなってしまって3回目の退職に至りました。

と、ざーっと勢いで長文になってしまいましたがいかがでしたでしょうか?
少しは私のことを理解していただけたでしょうか?
最後の方尽きて適当になってしまったので、後ほどリライトしたいと思います!